英語にまるわるちょっとしたお話しをお伝えしていきます。

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2012.7.1 『ざびえる』という名のお菓子

 『ざびえる』という名のお菓子を頂いた。大分に帰省した友人からのお土産、「昔からあるお菓子でね、私これ好きなの。」と。ふむふむ・・・黒字に赤い文字が外国語で書かれてある小粋な箱は、西洋菓子にも和菓子にも見える。金文字で”ざびえる”と。

箱の裏には、こんな風に書いてある。
『フランシスコ・ザビエルは、天文20年(1551年)豊後の国を訪れ、
大友宗燐の保護  を受け、神の教えを広めると共に、デウス堂・
小学校・コレジオ・大病院などの私設も次々に作りましたので、
当時の府内の町は大変ににぎわい、南蛮文化の花が咲き乱れて
おりました。このザビエルの功績を讃えて、和洋折衷の菓子
「南蛮菓子ざびえる」が誕生しました。』


ふむふむ・・・記憶の中にある、”フランシスコザビエル”と言えば、歴史の教科書にあった写真。細面の顔に大きな目、頭のてっぺん禿げていたな。日本にキリスト教を広めた人・・・覚えているのはそのくらい。

再び、ざびえるさんについて調べてみたくなった。
インドのゴアより4ヶ月の船旅を経て日本へ1549年8月鹿児島上陸、その後平戸、山口・京都・再び平戸を経由して1551年府内へ到着、2年間の日本滞在、普及活動を行い、再びインドへ向けて船出した。

1549年、時は室町時代(1333年ー1568年)。戦国時代と呼ばれた期間もあり、日本社会が混乱していた頃。ザビエルさんの存在は、どれだけ異質だっただろう。それでも、彼は受け入れられ約二ヶ月間の宣教で、信徒数は約500人にものぼったという。  

その後、徳川家康が「キリスト教は政治的に徳川政権を脅かしかねたい」と1639年鎖国政策を実施、日本は長い間他国との交流、交渉を閉ざすことになるが。フランシスコ・ザビエルの普及活動に功績は大きく、日本国内に”ザビエル”の名を冠する教会は35あるという。

歴史を振り返るとき、私は「ここでこの人が現れなければ・・・歴史は違っていたかもしれない。」と一人の人間の存在価値と果たした役割に感慨深くなる。


500年以上前の日本の歴史に思いを馳せながら、『ざびえる』を口にする。バターの香りと白あん、ラムレーズンが不思議に相まっている〜のは西洋菓子と和菓子の融合。コーヒーにも、お煎茶にもよし。また食したくなるお菓子。ザビエルさんに敬意を表しつつ、大分に帰省する友人に「”ざびえる”がまた食べたい!」と購入してくれるようお願いした! 














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