英語にまるわるちょっとしたお話しをお伝えしていきます。

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2012.4.1 アフガニスタンという国。

2012年3月16日、駐日アフガニスタン大使、盛岡市長表敬訪問。通訳を仰せつかった。東日本大震災へのお見舞いと復興状況伺いが目的、盛岡市長との面会後は岩手県知事を訪ねて県庁訪問が予定されていた。

ほんの15分の仕事だったが、事前打ち合わせ等がないので、できる限り自分で下調べをすることにした。通訳という瞬間瞬間が勝負の業務は、どれだけ事前情報があるか、両者を知っているかによって仕上がりが違ってくることを何度も苦い経験から学んできた。

アフガニスタンといえば・・・
タリバン?アルカイダ?オサマビンラディン?・・・恥ずかしながら知っている事はほとんどなく、日本から6500キロ、ヨーロッパより近いその国が私にとっては遠い国だった。

早速”アフガニスタンノート”を作成。地図を書き、調べる、学ぶ。

アフガニスタンは、中東に位置するイラン、パキスタン、中国、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンに囲まれている日本の約1、7倍の面積の国。パシュトゥン人、タジク人など主なる4民族と、20以上に及ぶ少数民族で成り立っている。長い間続いた戦争や内戦、干ばつや日照りによる飢饉・飢餓などのため、アフガニスタンには350万人以上の難民がいる。その数は世界最多だという。

歴史をみていくと、悲しくなってくる。イギリスの保護領になったり、ソ連の代理戦争が国内で続いたり、戦争、内戦を繰り返してきている。そして、アフガニスタンと聞いて、耳に新しいのは、2001年オサマビンラディンが首謀者と言われるNY同時多発テロ。翌年アメリカは、オサマビンラディン一人を捕まえるために、アメリカはアフガニスタン全土を空爆した。2011年5月2日、オサマビンラディン暗殺される。

確かに国力というのはあり、国に力がないと、強国に支配され人々が犠牲になっていく。この国の人々は、日々何を想って生きているのだろう・・・。様々な思いが交差する。考えさせられる。


そして、通訳のその日がやってきた。
緊張の15分の始まり。盛岡市役所にて、ファティミ大使を待つ。しばらくして、ふわりと現れた大使は、長身に黒いスーツがよくお似合いの紳士。きりりとした姿勢とスマートな身のこなしは一流を感じさせた。漂う品のいいパヒュームと、大使の醸し出す底はかとなくジェントルマンを感じさせる物腰・・・その場の雰囲気が一気に変わった気がした。                                    

アフガニスタン大使と盛岡市長、両者あいさつ。早速ファミティ大使より、震災のお見舞いを伝えるお言葉、それは慈愛に満ちた深いものだった。アフガニスタンはイスラム教の国、「祈る」「願う」ということを何度も何度も伝えていた。                                                印象的だったのは、震災を知った後のアフガニスタンの子ども達のこと。ニュースで震災の様子が放映された後、子ども達は祈ったという。誰に言われるでもなう、大きな仏像(バーミヤン)に向かって祈ったと。そして、数日後国内方々の生徒達が自主的に募金活動を行い、集めた金額は$6,500。赤十字を通して日本へ寄付したと大使は静かに話していた。「子ども達は身近な人を失う悲しみをよく知っているから。」と。                                          私にはこの言葉が深く重く響いた。両者の言葉を逃すまい、と必死で通訳をしながらも心の中では涙が溢れてきた。内戦や紛争が絶えず、人の命が一瞬にして奪われてしまう、この国の平均寿命は48歳と知る。                                                             世界のどこかの国で自然災害や紛争などがあったとき、日本の子ども達はそして自分は果たしてそんな風にすぐ動けるだろうか、シンパシーを感じることができるだろうか・・・自分の痛みとして。                                                                 無事、通訳業務終了。忘れられない15分となった。

あれからアフガニスタンのことが気になる。今朝もニュースでアフガニスタン駐在米軍撤収についての議論。テレビを見入る。遠かった国アフガニスタンが、近づいた。引き続きアフガニスタンを追っていこうと思う。














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