痛ましい事件が起こった。「ボストンマラソンにて爆発テロ。2名が死亡、100名以上が負傷」このニュースを私は、アメリカのラジオ放送を聴いて知った。朝のジョギング中。えっ?ボストンで?! 動揺し、急いで帰路につく。その朝の新聞、テレビのニュースでは、「ボストンマラソンで爆発テロ」が一面トップ記事で伝えられる。
「犯人は?」「なぜ?」その後、このニュースの行方を追わずにはいられなかった。毎日、ボストンのラジオ局から流れるリアルタイムのニュースを聞いては、緊迫感が伝わって来た。閉鎖された駅、高速道路、中止になったボストンレッドソックスの試合、コンサート・・・ その後、事件の全容が明らかになってきた。死亡者3名、犯人は難民としてアメリカに移民したチェチェン人19歳、26歳の兄弟であること、イスラム原理主義が大きく影響していることなど。
翌日の新聞に書いてあった文を読み、更にボストンに想いと願いを向けた。
ボストンとはそういう土地だという。〈アメリカのアテネ、アメリカ革命とふたりの大統領の生誕地、国じゅうのどの都市より高度な教育が受けられる場所、宇宙の要・・・〉デニス・ルヘイン『運命の日』の一節である。〈宇宙の要〉がともかくも、学術、文化の要としての〈アメリカのアテネ〉はよくわかる。世界最古の都市マラソン「ボストンマラソン」も、5輪の聖地アテネを連想させる催しだろう。平和の匂いがする大会でもある。
日本時間のきのう未明、ゴール付近で2回の爆発があり、3人が死亡し、多数の負傷者が出た。この世に卑劣でないテロがあるはずもないが、その極みである。
〈読売新聞”編集手帳”(2013.4.17)より抜粋〉
胸が痛む。
私はこれまで3度訪れたボストンに、特別な気持ちでいる。
20代に西海岸に住んでいた頃、ボストンをはじめとする東海岸の持つアカデミックでヨーロッパの雰囲気に畏敬の念を抱いていた。念願叶って、初めてボストンを訪れたのは1998年。アートスタジオを主宰する知人を尋ねて。ボストンはいつも憧れの地だった。
案の定、ボストンは芸術文化の香り漂う素敵な佇まいの街、私の心を満たしてくれた。あてもなく裏道小道を歩くのが本当に楽しく、その後も導かれるように2度ボストンへ。2011年には、中学生5名を連れて、数ヶ月前に起こった東日本大震災についてのプレゼンをさせてもらう機会を得た。
ボストンの魅力は計り知れず、学術・芸術・スポーツの面でも、国内外から人々が多く集まるところである。1630年イギリスから清教徒たちが入植したところから歴史が始まったボストンは、アメリカ合衆国の開祖の地である。アメリカで最初の大学ハーバード大学(1636年創設)を始めとして36の大学があり、人口約60万人のうち20万人以上が学生と言われている。街歩きが楽しいのは、レンガ造りの建物の間の小道を歩くこと、その間中チャールズ川、パブリックガーデンなど水と緑、自然が感じられると共に、『ボストン美術館』など美術館や画廊、画材店もあちこちにあり、またコンサートホールや楽器屋さんなど芸術的かつ音楽的雰囲気を醸し出しているから。小沢征爾氏が30年以上指揮をつとめたボストン交響楽団、多くの有名ミュージシャンを輩出しているバークリー音楽院などもこのの街にある。
街の美しさは、モチロン私は3回のボストンを通じて知り合ったボスト二アン(ボストンに住む人々の愛称)を尊敬し、大事に思っている。ボストン訪問の度に必ず訪れるKaji Art Studio。音楽、芸術に携わる人々との出会いが、ボストンを更に大好きな街にしてくれた。事件後、すぐメールでスタジオの皆さんの安否を尋ねた。無事を知り一安心。
嗚呼、ボストンよ。
この街の歴史に今回のボストンマラソンテロ爆発事件が加わるのか・・・
今回の事件によって、人々のボストンに対するイメージが少し変わるかもしれない・・・それでも私のボストンに対する思いは変わらず・・・I love Boston!
英語さんぽ道