街歩きが好き。あてどなく彷徨う。その町の空気、その時に出会う風景、人々。空の色、風のにおい、一刻一刻 変化してゆくそこの光、色、音を感じながら我が身をできるだけ透明にして身を置く。
イタリア北部、コモという町を訪ねた。
ミラノから電車にゆられて40分ほどすると、コモ湖が見え隠れしコモ駅に近づく。
コモ駅まで迎えにきてくれた知人が、湖沿いのくねくね道をどこまでも車を走らせ空に近づいていく・・・そんな思いになっていると到着。今夜はそこでコンサート、”peculier place”と彼が言う小さな村。中世に迷い込んでしまったような錯覚させられるような村。ハープを抱えて歩く知人と音楽家仲間の後ろをついて、石畳を歩いていく。 すれ違う人々は声を掛け合い、イタリア式あいさつを交わす。あったかいなぁ。
町に1軒であろう小さなB&Bに人々は集う。
もちろんコンビニはないし、スーパーもないよう。お菓子やタバコを売っている小さなお店で、コンサート前にエスプレッソの立ち飲み。果たしてこの町にインターネットは通っているのだろうか。世界から取り残された感さえある小さな村。時が止まってしまったような、過去のなかにいるような不思議な感覚・・・ イタリア語で話される会話はわからないし、私はそこの人達にとっては異邦人であったけれど、妙に心が静まり、落ち着くのを感じた。何だろう、この安心感は・・・
”修復士”という仕事があることを、『冷静と情熱のあいだ』を読み、知った。このお話には、1つのストーリーを男性の視点から描いたBlu(青の物語)とRosso(赤の物語)がある。辻仁成がblu著、江國香織がrosso著。イタリアと東京が舞台のこの物語の主人公”順生”が大学卒業後に選んだ職業が修復士。傷んだ名画を元の状態に近づけ再生させる修復士の仕事、「この仕事に生き甲斐を見つけることができたのは、レスタウロは失われた時間を取り戻すことができる世界で唯一の職業だということに気がついたことによる。」と順生は言う。
できるだけ意識を過去へと投じて、画家のことを調べ、ときにはその人物に成りきって、絵を修復するのだ。ぼくは、画家が生きた過去を現代に近づけ、そして未来に届ける時間の配達人なのである。 『冷静と情熱の間』Bluより
「イタリアには世界の美術品の1/3があるといわれ、世界水準のレスタウラトーレ(修復士)が大勢いる」ことを、この本で知った。
フィレンツェに住む順生が一時帰国した日本、彼は東京に身を置き何思う?
東京中が未来へと傾斜している。どんどん新しく立て直されていくビルは、未来のシンボルのような凛々しさでにょきにょきと生え、家々の頭上に君臨している。過去とは何か、とぼくは考えた。過去は人間にとって不必要なものだろうか。過去を修復してきたぼくは、この街にもう1つ居場所を見つけ出せずにいる。 『冷静と情熱の間 Blu』より
東京という魅力的で不思議な都市。
おびただしいビル群と、次々作られて行く商業施設、まぶしいほどのネオン・・・あらゆる人、物が混沌としている。私も年に数度は東京に行き、刺激を受け”トレンド”を感じてくる。新しいもの、素敵なものが溢れ、あちこちを歩いては探究心を掻き立てられ何かと心落ち着かぬ。「前へ前へ」「もっともっと」追われているような気持ちにさせられるのは、私だけだろうか。
戦後ニッポンは、高度経済成長の時を経て70年の間に先進国となった。その時代を築いてきた先人たちに敬意を払うと共に、ちょっと待てよ、とも思う。
「過去とは何か。過去は人間にとって不必要なものだろうか。」
順生の問いに、私も自問自答してみる。過去のなかにいるような感覚を覚えたイタリア・コモでの時間の、あの安心感を思い出す。失われた時間を取り戻す修復士のように、過去を心に留めながら慈しみながら今を重ねていきたい。
そして、ふと”Now, then and forever”というフレーズが浮かんだ。歌の歌詞だっただろうか、詩の一節だったろうか。過去が不必要であってはならない。あの頃があるから今があり、これからも・・・
英語さんぽ道