コロナ禍の3年間を過ごした子どもたちが、これから
どのように成長していくか気がかりです。
人と会うことを制限され、学校行事はことごとくキャンセルとなり、
マスクをする毎日、楽しみの給食さえ話してはいけない・・・
挙げればキリがないほど、子ども等を取り巻く環境は厳しかったと思う。
周りの大人が不安だったりイライラしていると、子どもたちは無言のメッセージを大人から受け取っている。子どもはちゃーんと大人を観ているし、感じているから
コロナ禍で閉塞感があり、先が見通せない日々では、夢を描くことも難しかった。私もあんなに子どもたちに、「キミの夢は?」「英語をどんな風に使っていきたい?」と繰り返し聞いていたのに、知らず知らずのうちに聞けなくなっていた。大きな未来を夢見るより、まずは今日1日を無事過ごすことができますよう願う日々だった。
この春頃から、私も会いたかった人に会い、友人とよく話すようになった。中高生と日々接している何人かの友人とよく話すことは、
「コロナ禍を経て、この頃の中高生はどうか。」ということ。
おとなしくなった。
”いい子”が多い。
臆病になった。
指示まちが多い。
感性が鈍っている。
感情表現を素直にできない。
あえて、人と関わろうとしない。
などなど。
このような現状をふまえ、目の前の生徒に対して私にできることをいつも考えている。
さて、月曜日の中学2年生クラスでは、4月から「話す練習」をすることに
した。英語が話せるようになりたい・・・と人は言うけれど、何を誰と話したいのでしょう。英語学習以前に、話す中身が大事。当たり前だけれど、話したい中身がないと話せない。おしゃべりな人ほど、英語も上手くなるのは当然で、話したいから話しているうちに英語も上手くなっていく。
さてこの「話す練習」のルールは、
①1レッスン一人づつ、順番にスピーカーが回ってくる。
②話す内容は自由。
③英語でも日本語でもよい。
一人が話して、他の3名は聴く。
時々反応したり、時々質問したりしながら。
ケガしたこと、視力が落ちたこと、おすすめスムージーのこと、
いつも観ているYou Tube動画のこと・・・
中学生の視点が面白くて、時々私は目を見開いて”What???!!”
私も彼らオススメのYou Tubeを観たり、スムージーを買いに行ったりして、暮らしに彩りができた。ありがとっ!
こんなこともあった。
「重い話だけどいいかな・・・。」と
話しにくそうに、この前までお世話になっていた方が亡くなった話をした生徒。その話を受けて、みんなで身近な人が亡くなった時の経験をシェアしながら、生と死について、静かに話をした。言いにくいことを
話せる仲間、場と言うのは、とても大事だと思う。私はこの話をシェアした彼に、Thank you.の手紙を書いた。それは、彼のおかげでみんなが、誰もがいつか死ななければならないこと、生きていることについて考え、伝え合うことができたから。
先週は、あまり自分から積極的に話さなかった1人が
「ま、いつでも何か話すことはあるから。」とかるーく呟いていて、
驚いた。
初めの頃は、話すことも聴くこともぎこちなく表情もあまりなかったけれど、ここ何回かは随分楽しそう。今週のレッスンでは、全員が何らかの受け答えや質問をして、話していなくてもキチンと存在感があった。Active Listenerになっていた。レッスンが終わっても話は尽きなくて、しばらく4人で笑いながら話していた。コミュニケーションがとっても自然体。
いいな、こういうの。
最初は、”ネタ探し”をしていた中学2年生の4人がが”何でもネタにする”ようになったことが、とてもうれしい。
さて、この話す練習は来週から次の段階に進める予定・・・