今年の元旦は、お正月らしいお正月を過ごした。年越しそば、お屠蘇、お雑煮、おせち料理、初詣、書き初め・・・ それというのも、フランスからの留学生マリーンちゃんが我が家にホームステイしていたからだ。
お正月は、日本の文化、風習を学ぶことのできる絶好の時。私は、高校生のマリーンちゃんにできる限り”これぞ日本!”というものを見せて、体験させて、伝えようと頭を巡らせていた。 1月2日の午後は『書道』を、夜は『百人一首』を紐解いてみることにした。百人一首とは〜という簡単な説明をした後、カルタ用のカードを広げて何首かの意味を英語で説明すると、マリーンが興味を示した。カルタに書かれてある和歌を、覚えたての日本語でたどたどしく読みながら「これどういう意味?」と聞く。カルタに描かれてある絵なのか、日本語の響きなのか、”I like it!”とにっこりしては、次々歌を筆ペンで紙に写していった。1句1句に英語の意味を添えて。
テレビでは、1月2日恒例のウィーンニューイヤーコンサートが放映されていた。時折耳なじみのあるシュトラウスの旋律が流れると、2人で口づさみながら目の前の百人一首に興じる。私はどちらかというと、ニューイヤーコンサートに酔いしれていた一方、彼女は百人一首に夢中になっていて、次々お気に入りの歌を見つけては、私に意味を聞いてくる。 この時、とても役に立ったのがこの本『英詩訳・百人一首 香り立つやまとごころ』。叔母が、 「あきちゃんは、英語教えるからこういう本必要でしょ。」と、数年前贈ってくれた本。その本と合わせて『小倉百人一首』と『まんが百人一首』もプレゼンとしてくれた。気が利いた粋な贈り物が、この時大活躍。おばちゃま、ありがとう。
マリーンのおかげで、百人一首が気になりだした。彼女が帰った後、私はこれらの本を読み込み、しばし百人一首に酔いしれた。 100首を、一句一句音読。音の響きが美しくて、何度も読み直す句も多かった。ところが現代語ではないので、よくわからない・・・英訳を読んで意味を理解すること多々。大和言葉は難しい・・・
ところで『百人一首』とは?改めて尋ねられると、うまく答えられず・・・ 調べてみました。
『小倉百人一首』は、鎌倉時代の大歌人藤原定家(1162-1241)が1230年頃から10年ほどの歳月をかけて、私的に編んだ歌集。1237年頃完成したといわれる。その後、定家一門によって改訂を重ねられた。定家卿は、『源氏物語』や『伊勢物語』をはじめとする平安時代の主要な書物の書写、注釈を含め、文献学での業績でも重要な存在である。100首のうち、8人の天皇、皇子、皇女、貴族、上流人士の歌が選ばれている。明治天皇は、和歌の世界の門戸を広く押開け、宮中との強い絆は今も維持され、750年以上経った今でも宮中で新年の行事として歌会が行われてる。今年はテレビで放映されていた宮中歌会に目が留り、厳かな儀式、脈々と受け継がれて来た日本の伝統行事であることを思い、感慨深くなった。
百人一首の句の多くが恋愛の歌、しかも悲話が多いように感じる。切なさ、哀しさ、愛おしさ・・・当時の日本人は情熱的でロマンチック、感情豊かだったのではないかという気がしてくる。情緒的であり、加えて私が惹かれるのは四季折々の自然の風情を繊細に感じとり、自分の心根の在処に映して表現していること。
和歌は、自らの感情に忠実になる術ばかりではなく、その感情を表現する術まで示している。感情的、内的な生活を持ち、その内的な世界を他者に伝えるのは自然で望ましいことと、改めて教えてくれる。彼らはコミュニケーションの達人であり、その作品を学べば、日本人の精神性や、内的生活における固有の信念を再発見することができるであろう。(『英訳詩・百人一首 かおり立つやまとごころ』 p26)
『小倉百人一首』は、はじめて英語に翻訳された日本の文学作品。翻訳者は、フレデリック・ヴィクター・ディキンズ(英国海軍軍医)、横浜の英国公使館で医官として勤務、個人的な願望から日本語を学び『百人一首』は1865年発表された。その後、幾人かの訳者によって翻訳されている。4年の歳月を費やして翻訳されたマックミランの『英訳詩・百人一首 One Hundred Poets, One Hundred Poem Each』を、ドナルド・キーン氏は「これは、今までのところ、『小倉百人一首の、もっとも卓越した名訳である。」とその魅力を語っている。
訳者であるMcMillan Peterは、日本在住20年をアイルランド生まれの大学教授。専門は文学・翻訳・現代美術、詩人の顔も持つ。著者曰く、「日本とアイルランドを行き来するうちに、日本の人々やその美しい言葉と表現法に、深く自然な親近感を覚え、意識せず、日本流の表現法に従って直感したり、共感したりするようになっていた。いつの間にか、心は日本人になっていたといっても決して大げさではない。といっても、アイルランドの心を棄てたというのではなく、今では二つの心を持つようになったといえるだろう。」(p18、19) “一つの言葉しか知らない者は、一つの人生しか知らない。”というチェコの格言を用い、マックミラン氏は「日本の言葉と文化を学ぶことで、第二の人生と心を与えられたと。」という。
”言葉を学ぶことは、人生と心を学ぶこと”というマックミラン氏のメッセージに、深く共感する。私も20年以上の英語との関わり、学びを通してそのことを実感する。言葉は、単なる情報の伝達手段だけではなく、心を伝えるもの人生を語るもの。言葉の奥に潜む機微を感じられたら、言葉はより輝くであろう。
マリーンがフランスにいる家族へ・・・と書き写した歌は次の2首を最後に。
光孝天皇 Emperor Koko
君が For you,
はるの野に I went out to the feilds
出でて 若菜つむ to pick the first spring greens
わが衣手に all the while on my sleeves
ゆきはふりつつ a light snow falling
崇徳院 Sutoku In
瀬をはやみ Like water
岩にせかるる rushing down
瀧川の the river rapids
われても末に we may be parted by a rock,
逢はむとぞ思う but in the end we will be one again.
【参考文献】
・英詩訳・百人一首 香りたつやまとごころ McMillan Peter著 佐々田 雅子訳
・まんが 百人一首と競技かるた
英語さんぽ道