その日、その時、私たちはベーグルを食べたかった。12歳の2人とニューヨーク1週間の旅、”食べたいものリスト”にあったベーグルを最終日には食べようということになっていた。ところが、その日私たちがいたのはマディソンアヴェニュー。高級ブランド店が並ぶリッチなエリアだ。「この辺りで、どこか感じのいいカフェを教えて頂けますか?できればベーグルを食べたいのだけれど。」と素敵なキッチン用品を扱うお店で尋ねると、「ベーグルは庶民の食べ物だから・・・この辺りよりダウンタウンに行った方がいいわよ。」と。ん・・・でも、私たちにそこからダウンタウンに行く体力も気力もないな・・・とにかく私たちは、カフェで「ふぅーー。。。」と一服したかった。
するとその素敵なお店のレディが「折角NYに来たのだから、面白いところを教えるわ!そこに行ってみるといい。」と地図まで描いて、あるお店を教えてくれた。
それなら・・・と疲れた足を引きづりながら到着したのは”Serendipity3″というカフェレストラン。確かにす・て・き。入り口には席を待つお客さんが列になり並んでいる。「うわっ、待つのーーー?!疲れたーーー。」私たちの心の声。列に並ぶ人々は、ウキウキ待つことも愉しんでいるよう・・・左右には夢見心地にしてくれる小物が並び、待つ時間をも陽気な気分に誘ってくれる・・・よう。
しばらくして席に案内される。
なんてファンシーな!なんてファンタジーな!隣の席には、ドレスアップした子どもたちとその家族が、誕生日のお祝い。若いカップルがあま〜いムード。んんん・・・どうみても、私たちはちょっと場違いじゃない?!さて、メニューもお値段もセレブリティ・・・ 当然庶民の食べ物ベーグルはない。しぶしぶ大きなアイスクリームサンデーを注文した私たち。
おいしい、すばらしいけど・・・今はこんなスペシャルアイスの気分じゃないんだよね。ひと休みでいいの・・・ちょっぴり苦い、今思い出すと笑ってしまうニューヨーク最終日の思い出だ。
あれから月日が流れ、12歳だったあの子たちは14歳になった。
私は何度かNYでクリスマスを過ごしたこともあり、この季節になると必ずNYを思い出す。そしてこの季節に観たい映画の1つ”セレンデピティ”。確か”セレンディピティ”について書いたな〜と、このエッセイを遡ってみると・・・あったあった、2008年12月にセレンデピティとは?セレンデピティの言葉の由来などが書いてある。
そして気づいた。
ナヌ?映画のなかで、サラとジョナサンがアイスクリームサンデーを食べながら、「セレンデピティって知っている?」と会話を弾ませていたところが”serendipity3”。 映画を再び三度見ると、映し出されたSerendipity 3、見覚えのある入り口。見覚えのある店内、アイスクリームサンデー!あそこだ!店を出て出会ったばかりの2人が$札の裏に電話番号を書いて渡したところ、セレンデピティな再会を願い数年後に訪れるも一瞬のタイミングのズレですれ違った2人・・・
セレンデピティとは、”fortunate accident”とジョナサンは言う。幸運なアクシデント。”起こる現象”ではなく、幸運なアクシデントを感じる”能力・素質”とその時の私は理解していた。
ニューヨーク最終日に、私たちがあの素敵な空間に導かれたまではセレンデピティ、幸運なアクシデント。しかし、そこで感じた場違い感と疲労感に、そこでのセレンデピティを感知する能力は、まったく持ち合わせていなかった。あー私たちがあんなにくたびれていなければ・・・
セレンデピティを引き寄せるには、体力と気力が必要か・・・ Serendipity in the air. きっと。
英語さんぽ道