美食の国フランスからやってきたその青年は、極端な偏食で決まったものしか食べない。お弁当は、2パーターンのどちらか。A or B。Aは、白いご飯に牛肉を焼いたもの。Bはヌテラサンドイッチ。毎日そのどちらかを作る私も・・・飽きるの・・・ねえ、ヴィクちゃん、他に何か詰めてもいい?せめて彩りにプチトマトとかパセリとか・・・? Non! 至ってシンプルな彼、NoはNo。
ヴィクちゃんは、我が家に3ヶ月ほどホームスティしていたフランスの高校生。こよなく愛していたヌテラ、それさえあればハッピー。世話好きな私の母は、箱一杯のヌテラを注文した。これでしばらくはもつね・・・ 昼ご飯が2パターンだとすれば、朝ごはんは毎日同じ。パンにヌテラをたっぷり塗って、牛乳に浸して食べる。来る日も来る日も・・・
ところで、”ヌテラ”って何?nutellaは、ヘーゼルナッツ入りチョコレートスプレッド。ヘーゼルナッツの味がチョコ味と相まって、確かにおいしい。フランスを旅していたとき、パリの街角クレープ屋さんでも、ノルマンディのカフェでもショコラとは別に”ヌテラ”クレープがあり、なるほど不動の位置を確率していることがわかった。
ヴィクちゃんの後に、日本に留学していたマリンもマノンもヌテラが大好き。メキシコから遊びに来ていたカレンもヌテラが好き。ドイツの家庭に泊まらせてもらったときも、朝ごはんの食卓にヌテラが置いてあったことを写真で確かめた。今、私の手元にあるヌテラは、原産国がオーストラリア。ヌテラはインターナショナル?!
チョコレートに関する本を読んでいたとき、”ヌテラ”という項目があった。
ヌテッラが発明されたのは、第二次世界大戦後で、必要に迫られてのことだった。当時イタリアはチョコレート不足で、けれどもヘーゼルナッツその他フィィリングに使かう材料だけは大量に抱えていた。のちに一大食品メーカーを築くことになるビストロ・フェレロは進取の気性に富んだ菓子職人で、煎ったヘーゼルナッツにココアパウダー、ココアバター、植物油を加えて新しいペーストをつくり、パスタ・ジャンデウィアと名付けた。1946年2月、フェレロはそれを660ポンド販売した。
1949年、フェレロはさらに塗りやすいスーパークレマ・ジャンドゥイアを開発し、イタリアの食料品店にはすぐにヌテッラ専用のカウンターができた。子どもたちは数リラわたしては、おやつのパンにヌテッラを塗ってもらった。ヌテッラは1964年からその名でよばれるようになり、ヨーロッパ大陸から海の向こうへと伝わった。
フェレロ社によると、販売量は全世界で2億キロ。ポンドに換算すると5億ポンド近い。主な消費国は西ヨーロッパの国々だが、ほとんど世界中どこに行っても手に入る。
NBAロサンジェルス・レイカーズのスター選手コビー・ブライアントが大のヌラッラスキになったのは、やはりバスケットボール選手だった父親がイタリアでプレーしていたときらしい。そんな経緯からフェレロ社との契約が決まり、瓶のラベルにコビーの肖像が使われるようになった。
ヌラッラの故郷イタリアである。ボローニャやジェノヴァにはヌテッラ・ピッツアやフォカッチャ、コーンフレーク、タコスなど10幾つの商品が自慢の「ヌテッリア」もある。イタリアのヌテッラはフランス版よりもヘーゼルナッツの味が濃く、砂糖の量が少ない。フランスでの年間販売料は瓶にして8000万個。
【チョコレート ー甘美な宝石の光と影ー 作:モート・ローゼンブラム 訳:小梨直 より】
Wow!!
必要に迫られて苦肉の策として作られたヘーゼルナッツ入りチョコレートが、今や世界中に広まるとは。あの頃ヴィクちゃんのために、取り寄せをしたヌテラも今では市内の輸入酒を扱うお店で気軽に求められる。
我が家では、ヌテラ=ヴィクちゃん。
2年ぶりに我が家を訪れたヴィクちゃんは、ジャンボサイズのヌテラを小さなバックバックに詰めて持ってきた。Myヌテラ、これさえあればどこへ行っても大丈夫!っていうわけ。彼の身体はヌテラでできている!
英語さんぽ道